まさおの脳みそ

ぼくの脳みそ

普通に27年生きてきたおっさんが考える幸せが幼稚過ぎて日本がヤバい

 ライトノベルのようなタイトルでおはこんばんちわ。

つい先日、27歳の誕生日を迎えた訳なので、日記を書こうと思います。

 

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(書きながら、答えをひねり出していくスタイルなので、見にくい事、読みにくい事っ必至なので、太字とかで読んでほしい事とか、結論を強調します。というか最後だけ読めばいいです。)

 

 

 

 早速タイトルから脱線いたしますが、25歳を超えたあたりから、単純に誕生日って喜べなくないですか?

 世間一般的に見てお前は年齢なりの、苦労成果肩書責任甲斐性自信。そういったものが備わっているのか?

 誰もそんな恐ろしい事は口には出しません。しかし口以外のすべての器官からこういったメッセージを送信してきていることはあまりにも明白(私の被害妄想ならすみません。考えにくいですが)じゃないですか?

なんでそんなに追い詰めてくるんですか?ヤメテヨ。誕生日メッセージを送ってくれるような友人や家族にはあまり感じないんですけど、それ以外の人からのオーラこわすぎでしょ。お前の幸せを俺にぶつけるんじゃねえ俺には俺の幸せがあるんですよ。

あ、綺麗にブログのタイトルにつながった♡(ことばのパズルもじぴったん)

 

 ・幸せとは?

 幸せとは一体何なんだろうか。

 怒られることを承知で書くと

 一生懸命働いて、おいしいものを食べて、好きな人と結婚し、子供が出来、マイホームを買い、老後へ向けてお金を貯め、余生はゆっくりと過ごし、時にはぎりぎり乗り越えられる苦難もあるけれど、一生懸命それを乗り越えた、苦楽共々味わった人生。みたいな感じが一般的では無いだろうか。

批判する気満々で書いていてアレなんだが、眩しすぎ、100点すぎ。こんなん確実に幸せじゃないですか・・・。

 でも、こういった考えが、余りにも蔓延しているのではないか、とも思う。上記の事に対して全く幸せを感じられないこともあるだろうし、むしろ逆の事の方が幸せを感じることもあるだろうし、そもそも可能/不可能で考えたときに、上記の幸せを実行できるのはかなり限られてくるのではないかとも思う。

 なぜこういった考えが蔓延するのか、もしあなたが、上記の眩しさMAXの事を幸せと教えられてきたのであれば、それは貴方がとても愛されてきたのではないかと思う。貴方の幸せを、他人が望んだとき、その人が感じる幸せを貴方に伝えるだろう。そして、ハズレのない幸せを伝えるだろう。

そういった【まともに生きて来た人が感じる、他の人から見ても社会的立ち位置が損なわれない幸せ】の事を、子供や若年者に「これが幸せなんやで~」といって育てると思う、俺も実際子供出来たらそうやって育てそう。

 

 でも結局幸せって全然人や場所や時や環境で変わるじゃないですか、何なら変移していくものだとも思うし、みんなソレをわかっているんだけれど、でも眩しさMAXが良い!って言われ過ぎて、現状と比較してしょんぼりしちゃうんじゃないの?と思う。

そう、人によって幸せは違って良いんだよ。比べるものじゃないですよ。

 

 幸せってなんだ?という根本的なところに話を戻すと、幸せって、死ぬ間際に、あ、俺、結構楽しかったし、後悔してない人生を送ってきたな、思い残すことなく死ねるな。と思えるモノ。じゃないかと思うんですよね、もちろん、気持ちいい(快)、苦痛からの解放(楽)という刹那的、瞬間的な幸せもあるんですけどそれも最終的にどう死ぬか。の積み上げてくパーツであるのではないか。

 人間、いつ死ぬかわからないですよね、これを書いている自分も明日死ぬかもしれない。でもあんまり皆心の底では理解していても、自分は65位まで働いて、余生はゆっくりしたところで、好きな人とゆっくり過ごそう。みたいに、まさか自分が明日死ぬなんて考えないと思います。というかそんな刹那的な生き方ほんとにしてたら、自分を残したり、人に何か伝える為に、一般的に見て【異常】な表現をすでにしているのではないか、そういう人愛しているけれども。

話がまたそれたが、明日死ぬかも、という考えを他人より少し深く考えたときに出るのが、本当に感じる欲で、それが達成された時が本当の幸せなんじゃないかなあと思う。

 そうやって、いつ死ぬかわからんから後悔しないように生きよう。というのが、書いていて思った俺の幸せだなあ。(幼稚園児並の感想)(タイトルへの回帰)

 

 ・本来書きたかった事

 タイトルを幸せって書いてしまったので、哲学的な文章になったけれども、本当は、27歳の現在の欲について書こうと思ったんですよ。それが本当に幼くて。

 俺の、心の根底にある欲働きたくないおっぱい揉みたい友達と楽しいことをしてお金が欲しい!と言うことだ。27歳がこういうことを考えているのだ、幼稚園並みの考えと言って差支えがないのではないか。

 これを今の日本社会に落とし込むと、友人何名かで会社を興し、楽しいことを行い、うまい事(?)社会の歯車になってお金を産み出し、不労(働いているんだけれど、自分にとっては遊びや趣味がお金になる)なのにおっぱいを揉める

 そういう図式になるのだ。最高。2億点

 

 ・書いていて導き出せた答え

 しかし、幸せについて、考えたとき、後悔しないということを考えた時、どうしても家族を幸せにすると言うことが、今の僕の脳みそから離れない。家族を泣かしてしまったら、つらい気持ちにさせてしまったら、そう考えると、頑張って泣きながら不幸になりながらも働き続けることが、不幸なはずなのに幸せ(?)ってことになってしまう。

 でも、ここで考えを止めてしまっては、それはそれで後悔するのではないかとも思う。楽して稼いで、奥さんとも友人とも遊べる、現実的なお金儲けを考え続けることこそ、自分にとって後悔しない事である。と思いました。

 

 ・結論

お金くれ

 

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 追記

 【眩しすぎる幸せ】と表記した、一般的に考えられている幸せ達ですが、僕らの世代位まで、かもしれないですね、最近はYoutuberとか、今までの幸せ像とはかけ離れた職業も現実味を帯びていますし、僕らの世代は下の人たちに、〇〇こそが幸せだよーって押し付けなさそうですし良い社会になりそうですね。良い社会なのか?ゴッサムシティ?