まさおの脳みそ

ぼくの脳みそ

マジョリティと自分

 人の主観について

 ・3行で

 人が何を言おうが

 絶対に曲げてはいけないところは在る。

 おっぱいは素晴らしいぞ。

 

 ・以下、小難しく

 

 人間の社会、特に日本という国で、トラブル無く生きていく為には、場の状況を適切に観察して、マジョリティであればこういった判断をするだろうと考えて、その通りに行動する事(空気を読むと言うこと)が必要になっていると思う。

なぜなら、普通でない事(理解が出来ない事柄)を人間は恐れてしまうからであり、恐れた事象に対し、文明と知恵と集団行動で踏破してきたのが我々人類であり、その延長上として、誰かに恐れられてしまったら、排除されてしまう場合が多いと、理解しているからであると思う。

 我が子を蹂躙されない為に、親は一般教養とか常識とかいう名の、多数の人間が是と思っている考えを伝えて、それに沿った行動をするように子供を促す。

それを繰り返すことにより、システマチックな社会になっていく。システマチックと言うことは、無駄が無く、早く、正確で、公正で、強力で・・・。そう言った方向性である。

 昨今、情報化社会と呼ばれる程度には、情報の拡散は超速である事。そして、システマチックな社会の形成化として、公正な社会を目指すという意識の中産まれた、自浄作用により、公正でない・普通でない・加害的に見える・等の事象は、排除すべきとの考えが在る。

以上2つのポイントから、排除すべきと情報源が考えた事象は、多少の脚色を伴い(タイトルを付ける事・文章・思考の文章化などで)、超速で拡散されていく。そして排除の動きへ向かっていくのだ。

 だが、ここに問題点も多数孕んでいる。

 ・先ず、情報源の判断が異なっている場合。

 これは、昨今のSNS等では、情報の多様化・高速化・手軽さの追求等の理由により、140字の文字制限が在ったり、UIのデザインにより、限られた情報しか表示されないことが多々あり、1次情報の誤読や誤解等があった場合、それを脚色したような情報を流してしまうと、一刻も早く問題を排除するために、情報ソースを確認しないような人間が更に拡散を進めてしまうため、多くの人間が、事実と異なった事象を想定してしまいます。そして現代社会ではマジョリティが正義である(場合が多い)ので拡散の範囲が大きければ大きいほど、事実と異なることが、正確な情報とされていきます。

この状態になると、仮に情報源が、誤った解釈をしていたと謝罪したところで、間違っていたという情報は、拡散された最下層まで届くことは殆どありません。なぜならキャッチーではないし、間違った情報を拡散した自分にも多少の責任があると認識はするが、それを更に下層の人間にまでそれを伝えてしまうと、自分の信頼度が落ちると考える人が多いからです(多いように感じます)。

 

 ・罰の永続効果。執行の容易化

 次の問題点としては、罰が永劫終らない事です。

罰とは、罪を償う為に行う事で、多くは、加害者が不快に思う事象を一定期間執行する事です。これを受け、罪を悔い改め更正し、一般社会で生活を再度送る。と言うのが正しく、不当な罰則が執行されないため(適切な罰則を与えるため)に、裁判関係があります。

自分の解釈ですが、被害者、被害関係者、裁判関係者・加害関係者、その他公的に認められた存在以外は、罰則については口出しするのも駄目だし、個人的に罰則を身勝手に与えることも良くないと思います。(良くないと思うだけで、罰が不当と判断し、復讐する人間の気持ちは理解できるときもある。)

ですが、昨今、罪を犯してしまった際、その記録は半永久的に残り続け、更にその情報を万人が、かなり気軽に入手出来ます。

それはつまり、例え更正した後でも、永久にその人間に対して、デメリットはついて回ると言うことです。就職・近所付き合い・人間関係の構築等、人生の根幹に当たる事象に影響があることは、誰でも判ると思います。

じゃあ、罪を最初から犯すなと言う考えもありますが、前述したように冤罪だったら?もしくは、やりたくなかったが、やらざるを得ない場合だったら?俺はそう言う罪は、キチンと洗い流されるべきだと感じています。

こういった、永続的な罰を、全く加害者でも被害者でもない第三者が、片手間に執行出来るのが現代社会です。

 

 ・執行の娯楽化

 あと、最悪なのが、誰かに無責任に罰則を与えることが、娯楽化していることです。片手間に携帯電話一個で、その人の人生を変えてしまえるのに、それを一過性の娯楽だと思っている人間が多く存在します。

現代人のモラルは向上していて、他人に害のあることを基本的には行わないようになってきています。これは非常によいことですが、逆に少しでも、加害して良いんだ。と認識してしまった人間は叩いてしまいます。しかも、加害していいんだと思える人間は現代社会には少なく、一極集中化してしまうため、片手間だが膨大な数の強力な罰が無責任に容疑者へ向けられてしまうのです。

無責任に娯楽として全く関係のない人間を苦しめて、失墜する様を楽しんでいる我々自信が社会の問題以外の何者でも無いと思います。

 

 罪と罰にはなしが逸れてしまいましたが、要は、マジョリティの力が人間社会では、非常に強力で正義ですが、マジョリティの考えの中には、間違っているモノ、自分の考えと絶対に異なるモノが多数存在します。

 マジョリティの考えが何時も正しい。と思わずに、自分自身で何が正しいか考え続け、行動することが必要だと感じます。

 高校生・大学生の頃、童貞で、女性に触れたことすら無かった俺に、おっぱいなんて触ってもただの皮と脂肪だから、全然良いモンじゃないよ。とイケメン達何名かは言ってきましたし、そう言う考え(童貞はおっぱいを神格化していると言う旨の考え)が一般的かもしれませんが。成長した僕は、声高らかに、おっぱいは素晴らしかったぞ。エデンであった。

と伝えていきたいです。これが俺の中の正です。