まさおの脳みそ

ぼくの脳みそ

無題

 皆様おはこんばんちわ。日記です。

 

 何度も色んな媒体で書いているが、俺は死ぬときに後悔しなければそれで良い人生だと思う。だから、今死んで、後悔することは片付けておきたいし、死ぬときに後悔がなければ何時死んでも良いと思っている。

 大学の頃は、特にこの考え方が顕著で、かつ、彼女も居なく(出来ない)、自由に行動でき、自分の行動で迷惑がかかる人間もそこまで居なくて、責任も軽く、その軽い責任も自分の分を負担するだけですんだので、非常に人生が楽しく、このような人生のまま、一生を過ごせたらなんて素晴らしいのだろうと思っていた。

 

 僕は、彼女が出来たことが無く、今思えば気持ちが悪い考えに固執し、姿も醜かったので、仕方がないのであるが、子供をこの世に残すことは出来ないだろう。と本気で考えていた。だから、死ぬまでに、俺がこの世に居た証拠というか足跡というか、何かを残したいなあ。と漠然と考えていた。

 考えたので、物を創造すると言うことは、意識やモチベーションだけあっても、行動に移すことは非常に難しいことである、糞以外何も生み出さない僕でも、創作する事の高尚さは理解しているつもりである。

  僕は結局、自分一人では何も生み出すことは出来ずに、一番嫌いな人種になっていた。

 

 そんな中、僕の周りには、何名か作品を作り続けている人間がいる、僕からすると、友人と思える人間である。その人間は、まるで赤子を産み出すかの様に、世の中の色んな物と関わりながら、時には苦しみながら、自分の中の作品や、自分を表現しようとしている。その様は、非常に美しく素晴らしいと感じている。

 

 僕が生きているこの世の中は、極端で、一方は、他人の生き方を尊重し、多種多様で人間一人一人の生き方があることを理解し、認める社会と、一方、所謂普通の幸せと働き方、ライフプランこそが至高と考える人間が多く、他の生き方を認めようとしない人間が、想像以上に存在する。創作して生きていく人間を認めようとしない社会だ。こう言う極端な2面性を、1つの物が抱えている。

 創作物を認めて貰い、お金を得るには、創作物を認めようとしない一面にも目を向けさせる必要があり、屈服させるほどの素晴らしい物を見せつける必要がある。

 

 別に書かなくて良いことに話が飛んでしまったが、僕が手放してしまった、自分だけが表現できる、素晴らしい物を、現代社会で産み出し続ける事は、僕にとっての憧憬その物であり、最上級の尊敬と、誇らしさを感じる行為である。私にとっての星なのだ。

 

 この道を歩み続けることは、困難であると思うが、どうか後悔しない様に無理の無いように。と願うばかりである。