まさおの脳みそ

ぼくの脳みそ

広告記事にはタイトルに【PR】とつけるべきか否か問題について

 結論から言うと、僕は付けなくて良いと思う。(本文には入れるべきだとも思う)

 

 皆様おはこんばんちわ。休憩中にネットサーフィンをしていたら、気になる記事があがっていたんです。

yoppymodel.hatenablog.com

 オモコロ巡回を日課としている僕の中では、有名人のポジションのヨッピーさんの記事なので、見てみたところ、広告記事のタイトルにPRって付いてないと、記事を見てからじゃないと判別できないから、いろいろ問題がある!と言った内容でした。詳しくは当該記事を見て下さい。

ぱやーっと見ての問題点は記事広告かの判別をするのにもギガが減る(当月の通信パケット料が嵩む。)自分の意図しない記事を読むことで、制限に引っかかってしまう/近付いてしまうのがストレス。記事広告ならそれは読みたくない。と言った意見。だと思う。

 

 これを読んでわーっと思ったことを適当に書いていくと

 1.広告記事が載る様な媒体(サイト・ホームページ)は基本的に、一発で見てわかる広告か、記事広告にて運営していることは、恐らく閲覧者は承知だろうに、記事広告か否かの半分の可能性も考慮せずぽちぽちリンクを押して、気に入らなければ怒る人間の存在に驚く。嫌なら見るな、ではないが、媒体の運営の形式も理解した上でのネットサーフィンを行わないんだなあ。という感想。

 上記の考えに至ったのは、以前僕は、風俗情報発信系のHPの会社に入社していた。その際、HPの全てが、記事広告/ガッツリバナー等の広告。で運営されていたので、基本的にライターさん等プロが書く記事は広告記事だという前提が頭の中に有るからこその考えだと思う。それを知ると、むしろ広告費貰ってない好き勝手書ける記事が有るんだ!すげえ!と言う風にオモコロ等の媒体を見る様になってしまった。

 話はズレるが、ライター(ほんまに囓っただけであるが)経験者として言うなら、ヨッピーさんの記事で言うと、広告記事でも、完全に初心者や興味ない人でも楽しめる構成になる様に書かれていると思う。パケット無駄になるかなあ・・・。

 

 2.携帯のギガが減ると言うことに関して。

 僕は、パソコンの鳴き声の様なピーガリガリみたいなダイアルアップ接続から、現状への移行のタイミングでパソコンをさわり始めた。

 定額制が夢の様な話の時代で、そんな時のワンクリックは所謂博打の様な、吉と出るか凶と出るかみたいな、エロ画像って書いてるけど、怖い画像出てくるかもしれん。とか思いながらネットサーフィンをしていた。

 ワンクリックの価値、みたいなものが現在より重かった気がする。

 そういった経験があるからかもしれないが、記事を読むためにクリックして、思った記事が出てこなくても、あー、見誤ったかあ!と思ってしまう。少ない情報から、自己判断して出てきた結果については、自己責任。みたいに思えてしまう。

 だから、ギガが減る。いらつく。と言う問題も、見誤って減ったギガじゃんね。と思うし、自分の好みの情報だけ入ってくる様に工夫すれば良いのになあ。とも思う。

 

 3.記事の芸術性について

 私は、元々制作物に対しては、他者が侵害してはいけない、著作者の思うがままに表現すべき物みたいな考えがある。芸術品とかは特に。

 ネットの記事も私は芸術品だと思っている。著作者の完全に思うがままに作るべきだと思う。作った後で、掲載の可否は、掲載元の管理者や編集者が行えばいい。と思う。

 掲載元や、スポンサーからのOKが出さえすれば、それで完成させて、終わればいいと思う。

 感想を好きに言うべきだとも思うが、完成した記事に対する要望は好ましくないと思う。特に記事の芸術性を損なう要望は、デザイン自体を変えてしまう。

 変なたとえかもしれないが、モナリザが無性に気に入らない。見た時間が無駄になったからといって、美術館に ※注意この先モナリザ※ みたいな対応をさせるのか、勿論嫌なら意見を言うのは自由だ、でもレオナルドダビンチにではなく、美術館へ言うべきではないか、と思う。

 

 

 書きながら、思いをまとめる形式なので、ふわふわした文章になってしまったが、ライターは、他人の意見をそこまで聞かずに作品を作って欲しいし、視聴者も、無粋な依頼を直接ライターにしなければ良いのになあ。と思った。

 

 でも、フリーのライターさんは、閲覧者全てが、顧客という側面もあるし、柔軟に対応しなくてはいけないんだろうなあ。もっとのびのび書いて欲しいなあと思いました。