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まさおの脳みそ

ぼくの脳みそ

日記 労働偏差値70の日本人

日記

 駅のホームのキオスクとかでよく見る黄色い背表紙の本みたいなタイトルから、おはこんばんちわ

 

 早速ですが、この前読んでいて印象的だった記事なんですけど。

 〈速報〉マツコ・デラックス「もうみんな限界」社会に閉塞感 - 日刊スポーツ芸能速報 - 朝日新聞デジタル&M

 勝手な要約と推論をする(元記事が詳しいだろうし、何かの番組のコメントの抜粋なので、その番組を見て体感する事がマツコDXさんの伝えたい事だろうが、観ていないので)と、男性保育士に、我が娘を着替えさせたくない。と言う問題や、コンビニアルバイトが病気で欠勤報告した時に、代わりの人間見つけられなかったから。と言う理由での勝手な罰金問題。さらに、JASRACが、音楽教室等から、著作権料を徴収する動きになっている事等を受けて、タレントのマツコDXさんが、社会もう色々無理でしょ…。と言ったと言う事だ。

 前述したが、マツコDXさんの意図とは異なる可能性もあるが、男性保育士に対しても、コンビニの労働形態に対しても、JASRACにしても、ある程度のグレーゾーンがあって、それがあってこそ成り立っていた事ではないかと言う事だ。

 

・業界のグレーゾーン

 

 僕自身保育士だったので、それについて主に記述する。

 自らをグレーゾーンと評するのはアレだけれど、確かに職務をキッチリ果たした時、僕の勤めていた保育所では、女性保育士に一々着替えやトイレを見てもらえる余裕はなかったし、寧ろ、ベテランの保育士さんの補助をする目的で、保育の合間にトイレに立って子供を見ないといけない状況に立たされる事が多かった。夏のプールもクッソ暑い中頑張って子供を楽しませようとしていたから子供に誰よりも近い距離で見守っていた。

 それは、マジで仕事では必要な事だ。抜本的な改革をしない限り、その保育園ではそう言う環境にならざるを得ない。真面目に働いた結果だ。

 しかし、それを親の目線から見ると、キモいな。と思う気持ちもわかる。

なんで先生何人もいるのに、いちいち着替えを男性保育士にやらせないといけないの?(この問題には、保育士って楽やし余裕あるから配置転換くらい余裕っしょ、みたいな考えが一般的であるような気がする事も無関係とは思えない)

保育士って儲からないのにやりたがる男性保育士信用できません。みたいな気持ちもわかる。

 でも、先生信用しないとダメでしょ、今までの親が、信用して触れてこなかった所謂グレーゾーンに手を突っ込んだら、真面目に働いてる保育士でも、一部だけ切り取られた瞬間を提示されて、怪しいって言われたら、反論し難いだろうし、そんな事までされたり、される恐れがある環境の中、低賃金で働くの絶対キツいっすよー。ってなると思う。

 

 他の業界でも一緒で、JASRACも、コンビニもそうだけれど、従業員の皆が食っていけるようにする為に、ある程度のグレーゾーンがある。でもそれを明るみにして、労働環境を良くする動きが、今よく見る気がする。

 

・労働偏差値70の日本人

 

何故、この様な動きになっていくのか、それは、大正義労働基準法の存在。また、日本の企業の多くがブラック企業じゃない?と日本人労働者が疑惑を持った事が理由に挙げられると思う。

 自分の職場、または自分職場じゃないけれど、違和感を感じるグレーゾーン。それは多分ブラック企業という概念が無ければ、ああ、ウチって、キツい/ヘンな職場やねんな、と思う位だろう。

しかし、ブラック企業じゃね?と言う疑惑と共に、労働基準法という大教典を勉強してしまうと、途端に、何でこのに善良な市民が苦しめられなアカンねん。と思ってしまう。

そしてそのグレーゾーンをブチ破る、写真、言葉、動画をSNS等が上がると、同じ様な思考の善良な市民が、それを拡散するんじゃないだろうか。

 上記の労働環境を良くする動きに反対と言う訳ではなく僕は大賛成だ。議論していくべき事だと思う。でも、グレーゾーンを守る事も必要だとも思う。

  

 労働環境を守る為の動きとして2つのパターンがあるんじゃないかと考える。話が戻るが、例えば、男性保育士に関しての意見は、職場ではない保護者側(職場から見た時の第三者、サービス対象者)から出た意見 で、コンビニアルバイトの件は、対象の職場で、実際に働いている従業員側(職場から見た時の当事者)から出た意見。の2つだ。

 ぶっちゃけ僕自身は、後者の意見はスグに取り入れたり、社内で議論すべきだとは思うが、前者は、今までの歴史とか、何故グレーゾーンにしているかもわからない癖に口出ししてきているので、会社的には放っておいても良いとは思う。(勿論当事者が、労働環境について改めて考えるキッカケになるので議論を外野がするのは大いに意味があると思う。)

 

  しかし、労働偏差値70の日本人は前者も後者も取り入れようとするのではないか、完璧を求めているのではないか、今まではそれが普通だったから。カスタマーの意見を聞いて育ってきたからだ。

 

 この話を日記に書こうと思った理由が、今日、銀行が開くまでの時間、近所のスーパーのトイレを借りた時、クッソ汚かった。映画でよく見る海外のトイレみたいだ。

 でも良く考えたら、スーパーでトイレを借りれる事自体が有難い事だし、スーパーの他の所は、気合の入った掃除をしているし、トイレは多分使うなら勝手にどうぞ、位のスタンスで、あ、ちょうど良い力の入れ具合かもしれない。

寧ろ、他の場所のトイレ1つに対する力の入れ具合が異常なのかも。トイレ掃除に人雇えない環境で綺麗なトイレ維持してるの大分無理してない?と思った事がキッカケだ。

 

 労働偏差値70とか訳わからない例えであったが、多分日本は、過剰とも言えるサービスを対象者に向けて行なっている、しかもそれを長く体感し過ぎて、有難いどころか、普通。と感じ始めている。しかし、偏差値70まで上げるには勉強でも人に見せられない様な並々ならぬ努力が必要な訳で、それが所謂グレーゾーンでは無いかと僕は考えています。触れなければ、偏差値は70叩き出す。

 けれど、それはやはりよほど余裕が無いと、労働者に負担を掛ける事になる筈だから、グレーゾーンを引っぺがすのも正しい流れだと思う。

でも、それを引き剥がして、労働偏差値が70のまま居られるのだろうか、恐らく居られないのだ。だから、日本全体が一旦あらゆるサービスの質の低下を受容してでも、労働環境の向上を目指して、更にそこから、無理せずともよいサービスの仕方を学んでいく段階になったんだろうなぁ。と思いました。

 

 

 

 

追記

サービス偏差値95点の風俗嬢の選び方というクソクソ売れそうな風俗情報ムック本のタイトル考えたんですけど、誰か買い取ってください。