まさおの脳みそ

ぼくの脳みそ

感想【化物語】

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 ムカつかないハーレム主人公と怪奇。

 

 もちろんネタバレは含んでいます。しかし、感想文としては薄い気もします。

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 2006年。つまり僕が16歳の頃、西尾維新が執筆したのが、化物語という作品だ。

高校の頃は、西尾維新って誰だ?と言った様な知識であったが、大学へ上がる頃には一大作家であり、作品群は余りにも有名であり、空前絶後のアニメブームの中作成されたのが、アニメ版化物語である。

 僕は、皆がみんな見ている作品は見てもないのにクソと思い込んでしまう、ウジ虫にも劣る存在であったので、ニコニコ動画でもまあ有名だった該当作品は見ていなかった。おっさんとなった今、もうそんなものは関係がない、感想をしゃべる相手もいない。ただただネットの海の過去の感想たちと気持ちを通わせるだけである。恥ずかしさや強がりからの解放。素直な気持ちで僕はアニメを見ます。ブヒ。

 

 ・統括感想

 ・会話主体の作風の良さ

 画面を見れない視聴(大体運転中なので、基本的には音だけ聞いている)ではあったが、何話か、ところどころ絵を見るだけで、後は会話、シチュエーションが想像出来た。フルで絵を見なくても、大体が会話しているだけで23分ほど過ぎている。会話も、主人公たちの置かれている実状が暗くても、皮肉があったり、小ネタがあったり、エロがあったり、パロディ満載の会話でダレない。これが一番の魅力であった。

 

 ・ハーレム系主人公の理想。

 主人公の阿良々木暦くんのキャラクターが良い。まずかわいい。声も良い。自分がイタかった過去と、それによる現在の状況を自らきちんと理解できているのも良い。賢い。友達が少ないから感情移入しやすい。そのわりに会話がうまい。人の為に動ける。自分も苦労しているから(特異な現象をわが身で受けている)という理由での協力の提示が自然だし理解できる。特殊能力が地味(アニメ版だけの描写)だけど便利で好感が持てる。突っ込みが早い。うまい。他のキャラクターからの好意をきちんと受け止めれている(受け止めれないシチュエーションでも真正面から向かい合っているように感じる。少なくとも、え、なんて?みたいな感じではないように思う)その上でセクハラをしまくったり、性的欲求を清潔さを欠かさずに表現している。ロリコン

 以上の属性を俺は感じました。嫌いじゃないし好き。ハーレム系のアニメーション主人公の中でもだいぶ好き。

 性的欲求を隠さない。であったり、ちゃんと心の中に決めた人がいる。みたいなところがいいのかな。

 

 ・女の子のかわいさ

 女の子がかわいい。ありがとう。

 使い捨てじゃない。ありがとう。

 セクハラが容認される世界観。ありがとう。

 何故か登場女性のエロが蔓延している世界。ありがとう。

 各女性で、全くストーリーが区別されている。タイトル、テーマソング、オープニングアニメーション、舞台、全く違うのに、仲良くなった女性は続投出演を行うことが多い、更に、毎回かわいい。女性ごとのかわいさのジャンルが異なる為、掛け合いが面白い。かわいい。

 

 ・EDテーマの親和性。

 最高のEDテーマと、それにバチバチにぶち込んだアニメ演出。最高かよ。これを聞いた時はずるいなあと思いながら涙した。俺は戦争に出かけた旦那を待っていたが、帰ってきたのは手紙だけで、先に行く、すまん。娘を頼む。とだけ書かれているのを見たときの食堂の若女将かよ。ずるいなあ。あんただけ。

 

 ・面白かったです

 

 

 ・戦場ヶ原ひたぎと言う、理想の女性。

 僕の女性の好みとしては先ずはクーデレが理想である。

 高校生の時くらいに、ツンデレという言葉が生まれ、そこからまとめブログの走りを見て、次々定義化されていく、ヤンデレ、黙デレ、クーデレ、それぞれにリアルタイムで萌えてきた。その中でもクーデレは特別な存在であった。

 僕は待ちの人間である。僕はキモい。そんな僕でも見てくれる女性。外見ではなく中身を見て、しかも女性からの告白。しかもクール。

 

SSP(性的スイートスポット)ど真ん中なのである。

 そんな中での彼女はどうだろう。

 5億点。

 なんなら柔らかそうなおっぱいが惜しげもなく描写されている。ありがとうございます。

 

 1話、強烈な、ボーイミーツガール。視聴者からの初めての戦場ヶ原ひたぎの姿は、一般人である(とその時点では描写されている)主人公の口に、スパイもびっくりの速さで、ホッチキスをぶち込む姿だった。(うちのじーちゃんちに在った古いホッチキスの形と一緒だったのでMAXのホッチキスだと思う)(更に言うなら、ステープラーはMAXのホッチキスが間違いなく良いと思う。ハズレがない。おすすめ)

 その彼女の特異さ、弱さ、を知り、受け止めて、自らも特異である事から共感し、多くない知識で出来ることを探して行動をする主人公と軽快な会話をする戦場ヶ原ひたぎツンデレでなく、お前はツンドラだと言われる位に、クールな女性であった。

 特異のせいで、本来暗くなるストーリーを、前述した、明るい軽快な皮肉いっぱいの会話で、ポップに、どこかお洒落に、特異の真相に近づいていく。

 この、お洒落でポップで皮肉いっぱいでクールで素直なかわいいお姉さんキャラの女の子。間違いありません。正解は越後製菓

 怪奇現象を解決してからは、主人公と、時たま行動を一緒します。その際に、主人公に嫌われたくない・・~。とかそういった内容の言葉を恥ずかしげもなく披露してくれるんです。最高かよ。

 そして、あのEDとの親和性抜群のシーン。ドキドキした。ラブコメ最高。戦場ヶ原さん高校の時に見てたらこじらせてた。それくらい、ど真ん中だった。

くーでれ好きな人にほんとおすすめです。

お題トーク【私のタラレバ】

今週のお題「私のタラレバ」

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※タラレバとは

もしあの時〇〇してたら今頃・・!みたいな後悔タラレバですね。(ばっちりネット辞書を見て定義を確認した。)

 (すごく雑談が長いので飛ばそうね)

 おそらく今放送中の【東京タラレバ娘】の記事を書かせようと言うことなのかな。見ていないんですが、坂口健太郎が出演している時点で視聴する価値があると思います。坂口健太郎はかわいい。俺物語のスナを見て確信しました。というかこれも鈴木亮平アニキとの共演ですね。

 日本のドラマのキャストってマジで人気のトップオブトップの組み合わせが多すぎな気がするので、飽きませんか。そしていつの間にか消えていくのだ。製作スタッフとか脚本で見よう。みたいな人は少なくて、主演俳優、女優で視聴する価値があるか決める人が多いもんね。

 家族と、安楽椅子探偵シリーズを見たときに、全く知っている俳優・女優が居なかったため家族はそのドラマを見る気を起こしていなかったのを思い出す。やっぱこの世は顔か。顔でエンターテイメントが発生しない場合もあるのか。こうやって文章のみを掲載して見に来る人が居ることの素晴らしさよ。その感性プライスレスしかしこう書いていながら、僕もAVは、ジャンル→女優→メーカー→監督みたいな順番でDVDレンタルの基準を決めていた気がするので、やはり顔は重要だな。ドラマとは全く目的が違うので当たり前ともいえるが。

 

 まず第一に思い浮かぶタラレバではあるが、一番最初は、行きたかった高校のコースに行っていれば、より俺のエンターテイメントの本質に近い職業につけていたのではないかと言うことだ。

 高校は情報処理のコースに行きたかった事を覚えているが、このままでは完全にヒキオタになると懸念したであろう親に捻じ曲げられて普通科に入った覚えがある。

 しかし、捻じ曲げられた為、恨みや後悔のような感情は消えないし、だからこそタラレバというテーマで一番最初に思い浮かぶのだが、高校は、担任・同級生、環境、すべてに恵まれ、あの3年で、他の高校より俺が好きな俺に成長できた気がする。あの(強制)選択は間違っていなかったであろう。

 

 2番目に思いつくタラレバは・・。とここで、あまり思いつかないなあと言う事に気付いた。恐らくそれは、自分の中に何でもOKやんというユルい思想と、後悔するなら、恥ずかしかろうが、嫌になろうが、迷惑をかけようが、後悔しない行動を取ろう。と大2病の時から動いていたからだ。自分の行動の根底に後悔しないよう・・・。と言うのが根付いている。だからあの時○○していたら・・・。という後悔は少ないし、そう思ってしまっては、行動した過去の自分に失礼な気もする。恋愛関係の行動は本当に失敗しかしてこなかったが。

 

 そもそも、タラレバと言うのは、欲や願望から生まれるものだと思う。

①金持ちになりたいな真面目に勉強して、真面目に就職活動してたら・・。

 

②おっぱい揉みまくりたいな高校生の時に、恥ずかしがらずにお洒落について勉強してもっと健康的に真摯に女性に対して向き合うべきだった。風俗イキまくる為に金を稼ぐために①のルートへ・・・。

みたいな感じで。なのでやはり現在の欲から考えていくべきだ。

 

 ・例) 働きたくない

 もし俺が、大企業の御曹司だったらな・・・。

 これは綺麗なタラレバだろう。しかし、余りにも現実性も実現性もない。実の両親から生まれてこなかったら、俺の存在自体が消えてしまうし、ハナから金持ちだったら、不労所得のありがたみとか感じてなさそう。(当たり前だけど不労所得のありがたみを噛み締めながら不労所得を得たい)

 

 というか、結構書いてきましたけど、タラレバトークって全然面白くないですね。僕のトーク力がゴミ過ぎ。ごめん。

 

 もしもトークは好きなんですよ。もしも3億円当たったらどうする?みたいな。

(たらが含まれているが、後悔していないのでタラレバではないように思う)

でもタラレバって過去改変して、現在の別の世界線を仮定する事じゃないですか、現在にそんな後悔なかったらタラレバを語ることは難しいんですよね。

 もしもトークは未来改変の事を話すじゃないですか、しかも宝くじ当たる~みたいな【もしも】ですら、未来の事だから、確率は0%じゃないんですよ!でもタラレバだと、過去に宝くじ当たってなくて当たってた今を妄想するだけで終わるから、面白くないと私は感じるんですよね。

 

 過去を変えて理想の今を探すのではなくて、今を変えて理想の明日を見ましょう!

 

 という優等生みたいな一言が出ましたので、これにてお開きといたします。

 

 

 

思い出し追記

 ・もしもあのとき、パーマや髪色を弄って無かったら、こんなに禿げていなかっただろうか。

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普通に27年生きてきたおっさんが考える幸せが幼稚過ぎて日本がヤバい

 ライトノベルのようなタイトルでおはこんばんちわ。

つい先日、27歳の誕生日を迎えた訳なので、日記を書こうと思います。

 

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(書きながら、答えをひねり出していくスタイルなので、見にくい事、読みにくい事っ必至なので、太字とかで読んでほしい事とか、結論を強調します。というか最後だけ読めばいいです。)

 

 

 

 早速タイトルから脱線いたしますが、25歳を超えたあたりから、単純に誕生日って喜べなくないですか?

 世間一般的に見てお前は年齢なりの、苦労成果肩書責任甲斐性自信。そういったものが備わっているのか?

 誰もそんな恐ろしい事は口には出しません。しかし口以外のすべての器官からこういったメッセージを送信してきていることはあまりにも明白(私の被害妄想ならすみません。考えにくいですが)じゃないですか?

なんでそんなに追い詰めてくるんですか?ヤメテヨ。誕生日メッセージを送ってくれるような友人や家族にはあまり感じないんですけど、それ以外の人からのオーラこわすぎでしょ。お前の幸せを俺にぶつけるんじゃねえ俺には俺の幸せがあるんですよ。

あ、綺麗にブログのタイトルにつながった♡(ことばのパズルもじぴったん)

 

 ・幸せとは?

 幸せとは一体何なんだろうか。

 怒られることを承知で書くと

 一生懸命働いて、おいしいものを食べて、好きな人と結婚し、子供が出来、マイホームを買い、老後へ向けてお金を貯め、余生はゆっくりと過ごし、時にはぎりぎり乗り越えられる苦難もあるけれど、一生懸命それを乗り越えた、苦楽共々味わった人生。みたいな感じが一般的では無いだろうか。

批判する気満々で書いていてアレなんだが、眩しすぎ、100点すぎ。こんなん確実に幸せじゃないですか・・・。

 でも、こういった考えが、余りにも蔓延しているのではないか、とも思う。上記の事に対して全く幸せを感じられないこともあるだろうし、むしろ逆の事の方が幸せを感じることもあるだろうし、そもそも可能/不可能で考えたときに、上記の幸せを実行できるのはかなり限られてくるのではないかとも思う。

 なぜこういった考えが蔓延するのか、もしあなたが、上記の眩しさMAXの事を幸せと教えられてきたのであれば、それは貴方がとても愛されてきたのではないかと思う。貴方の幸せを、他人が望んだとき、その人が感じる幸せを貴方に伝えるだろう。そして、ハズレのない幸せを伝えるだろう。

そういった【まともに生きて来た人が感じる、他の人から見ても社会的立ち位置が損なわれない幸せ】の事を、子供や若年者に「これが幸せなんやで~」といって育てると思う、俺も実際子供出来たらそうやって育てそう。

 

 でも結局幸せって全然人や場所や時や環境で変わるじゃないですか、何なら変移していくものだとも思うし、みんなソレをわかっているんだけれど、でも眩しさMAXが良い!って言われ過ぎて、現状と比較してしょんぼりしちゃうんじゃないの?と思う。

そう、人によって幸せは違って良いんだよ。比べるものじゃないですよ。

 

 幸せってなんだ?という根本的なところに話を戻すと、幸せって、死ぬ間際に、あ、俺、結構楽しかったし、後悔してない人生を送ってきたな、思い残すことなく死ねるな。と思えるモノ。じゃないかと思うんですよね、もちろん、気持ちいい(快)、苦痛からの解放(楽)という刹那的、瞬間的な幸せもあるんですけどそれも最終的にどう死ぬか。の積み上げてくパーツであるのではないか。

 人間、いつ死ぬかわからないですよね、これを書いている自分も明日死ぬかもしれない。でもあんまり皆心の底では理解していても、自分は65位まで働いて、余生はゆっくりしたところで、好きな人とゆっくり過ごそう。みたいに、まさか自分が明日死ぬなんて考えないと思います。というかそんな刹那的な生き方ほんとにしてたら、自分を残したり、人に何か伝える為に、一般的に見て【異常】な表現をすでにしているのではないか、そういう人愛しているけれども。

話がまたそれたが、明日死ぬかも、という考えを他人より少し深く考えたときに出るのが、本当に感じる欲で、それが達成された時が本当の幸せなんじゃないかなあと思う。

 そうやって、いつ死ぬかわからんから後悔しないように生きよう。というのが、書いていて思った俺の幸せだなあ。(幼稚園児並の感想)(タイトルへの回帰)

 

 ・本来書きたかった事

 タイトルを幸せって書いてしまったので、哲学的な文章になったけれども、本当は、27歳の現在の欲について書こうと思ったんですよ。それが本当に幼くて。

 俺の、心の根底にある欲働きたくないおっぱい揉みたい友達と楽しいことをしてお金が欲しい!と言うことだ。27歳がこういうことを考えているのだ、幼稚園並みの考えと言って差支えがないのではないか。

 これを今の日本社会に落とし込むと、友人何名かで会社を興し、楽しいことを行い、うまい事(?)社会の歯車になってお金を産み出し、不労(働いているんだけれど、自分にとっては遊びや趣味がお金になる)なのにおっぱいを揉める

 そういう図式になるのだ。最高。2億点

 

 ・書いていて導き出せた答え

 しかし、幸せについて、考えたとき、後悔しないということを考えた時、どうしても家族を幸せにすると言うことが、今の僕の脳みそから離れない。家族を泣かしてしまったら、つらい気持ちにさせてしまったら、そう考えると、頑張って泣きながら不幸になりながらも働き続けることが、不幸なはずなのに幸せ(?)ってことになってしまう。

 でも、ここで考えを止めてしまっては、それはそれで後悔するのではないかとも思う。楽して稼いで、奥さんとも友人とも遊べる、現実的なお金儲けを考え続けることこそ、自分にとって後悔しない事である。と思いました。

 

 ・結論

お金くれ

 

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 追記

 【眩しすぎる幸せ】と表記した、一般的に考えられている幸せ達ですが、僕らの世代位まで、かもしれないですね、最近はYoutuberとか、今までの幸せ像とはかけ離れた職業も現実味を帯びていますし、僕らの世代は下の人たちに、〇〇こそが幸せだよーって押し付けなさそうですし良い社会になりそうですね。良い社会なのか?ゴッサムシティ?